2020年12月に亡くなったスパイ小説の巨匠ジョン・ル・カレの「遺作」として、昨年末に発表された作品である。
実際には20年に発表した『スパイは今も謀略の地に』が、最後に書かれた作品だ。
本作は、『繊細な真実』(2013年)の後に書かれたが、本人から刊行のゴーサインが出なかったために、「お蔵入り」していたらしい。
しかし、読んでみると、他の発表作と遜色がない。強いて言えば、彼の作品としては短いため、もう少し深みなりひねりなどを入れたいと考えたのかもしれない。
その一方で、私自身がずっとル・カレに対して抱いていた「なぜ、あの時代の、あの場所を書かないのだろうか」という疑問に応えてくれた感激の一作だ。
それは、ボスニア紛争だ。第二次世界大戦後、ベトナム戦争に匹敵する最悪の戦争であり壮絶なジェノサイドが、ヨーロッパで起きたという衝撃は、今も忘れない。
ロシア、中東、アフリカなど様々なエリアを舞台にした謀略を取り上げ、深い洞察力で、彼ならではの厳しい警鐘を鳴らしてきたのに、なぜ一度も、ボスニア紛争について書かないのだろうかと思っていた。
おそらく、そんなふうに考えていたファンは多かったのではないか。
そして、当人もまた喉に刺さった骨として、気にしていたのかもしれない。
本作は、その期待に応えただけでなく、西側先進国、特に英国に強い怒りをぶつけている。愛国者であるル・カレには珍しいことだ。
作品は、構成も地味で、小品かもしれない。
しかし、その行間から漂う強い想い、さらに登場人物が言葉ではなく行動で示す姿に、あの悲惨な紛争に対するル・カレの正義感が溢れている。
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